2022年3月28日テニスのマイアミ・オープンは米フロリダ州マイアミで試合を行い、西岡良仁選手は男子シングルス3回戦までいきました。
そんな西岡良仁選手に”引退”という言葉が出てきていますが、一体いつなのか・なぜ”引退”という経緯に至ったのか気になりますよね?
また、実家のテニススクールの名前や西岡良仁選手の特徴など経歴も気になるところです。
西岡良仁引退はいつなのか?実家のテニススクールの名前・特徴など経歴紹介したいと思います!
西岡良仁引退はいつ?
西岡良仁選手の引退日はまだ正式に発表されていません。
2022年1月17日にテニス4大大会の全豪オープンが開幕した際、世界119位の西岡良仁選手と世界124位のアルボット選手で試合をしましたが、1回戦敗退しました。
その時西岡良仁選手は以下のように語っています。
「ランキングも130位くらいに落ちると思います。いままでけが以外でランキングを落とすことがなかったんですけど、初めていま落ちていく経験をしているので、すごいキツくて。自分のなかで何をどうしたら上がっていけるだろうと。正直言うと、けがが治れば徐々に上がっていくと思っていたし、そんなに弱い、とも思っていなかったです。でも勝てなくてだんだん落ちていくと。勝てそうな相手なのに勝てるビジョンがなくて負けていくと。けっこうきついですね。落ちて、チャレンジャーに回るんでしょうけど僕はあと2年だと思ってます。ランキングが落ち続けたらもうやる気なくなっちゃうので、僕はこの2年間で結果出なかったらたぶん引退するんで。そんな感じでたぶんやっていくと思います」
tennis365.net
2021年10月から、ツアー本戦で4大会連続初戦負けており、最高48位にまでなった世界ランキングも119位と、2018年9月24日の週以来の3桁に落ちていたため気持ちが落ち込んだ様子でした。
”試合の勝ち方が分からない””ミスをするイメージが沸いてしまう”など負のループが襲ってきているようで、西岡良仁選手自身はかなり苦しい状況であることが伝わってきます・・・。
しかし、今回の「マイアミ・オープン」での試合では3回戦まで昇りつめたため自信を取り戻せたようです。
諦めずに頑張って欲しいです・・・!
西岡良仁実家のテニススクールの名前
西岡良仁選手の実家のテニススクールの名前は、ニックインドアテニスカレッジです。
〒514-0817 三重県津市高茶屋小森町2890−1
このテニススクールの校長は、西岡選手の父である西岡範夫さんです。
西岡範夫さんは日本テニス協会公認のプロで、全日本選手権出場経験もあります。
西岡良仁選手は3歳の頃からテニススクールで競技を始めました。
お父さんがプロのテニス選手なら、自分もやりたい!と憧れちゃいますよね^^
西岡良仁特徴など経歴
西岡良仁選手は一体どのような特徴を持つ選手なのか、今までの経歴を紹介したいと思います。
西岡良仁特徴
西岡良仁選手のテニスプレーでの特徴は以下の通りです。
- 左利き
- フットワークが良く、コートにボールを入れる能力が高い
- コート内を走るのは苦ではなく、長くラリーを続ける
- ミスが少なくボールを拾うことができる
- トップスピンフォアハンドが武器
数少ない左利き選手は右利き選手の逆の回転をボールにかけることになるため、ペースやリズムを乱しやすくなるとされています。
西岡良仁経歴
【1995~】
1995年9月27日三重県津市に生まれ、3歳の頃から父の西岡範夫さんが経営していたニックインドアテニスカレッジにてテニスを始めます。
【2007年】
2007年(11歳)「ダンロップ全日本ジュニアテニス選手権」・ 「ダンロップ全国選抜ジュニアテニス選手権」で優勝します。
【2009年~2010年】
2009年には「14歳以下国別対抗戦」に出場し、シングルスで見事優勝を果たします。
【2011年】
2011年(15歳)錦織圭選手も通った「IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミー (アメリカ)」に留学し、世界で戦えるプレイを身につけました。
【2012年】
2012年「全米オープンジュニア大会」でシングルス・ダブルス共にベスト4に入ります。
【2013年】
2013年「メキシコフューチャーズ大会」で、念願のプロ大会初優勝を果たします。
【2014年】
2014年1月”ヨネックス”と所属契約を結び、プロに転向しました。
2014年8月には4大大会初挑戦となる「全米オープン」に出場し、予選を突破して本戦に進出しました。
9月「上海チャレンジャー」でATPチャレンジャーツアー初優勝を果たします。
9月「仁川アジア大会 」では、1974年のテヘラン大会以来40年ぶりとなる男子シングルスでの優勝し、新たな有望選手の誕生に日本テニス界で話題となりました。
【2015年】
2015年「デルレイビーチ国際テニス選手権」では予選を突破し、本戦でも1回戦・2回戦を勝利。
この時2008年の錦織圭選手以来のベスト8入りを達成します。
5月「全仏オープン」で予選を突破。全仏オープン初の2度のグランドスラム本戦出場を果たします。
9月「全米オープン」で予選を突破、日本人で予選を通ったのは西岡良仁選手のみでした。
本戦ではポール=アンリ・マチューに競り勝ち、グランドスラム初勝利を挙げます。
「デニスカップ」初出場も果たし、かなりの飛躍の年となりました。
【2016年】
2016年2月には「メンフィスオープン」でベスト8進出。
3月、2度目の「デビスカップ」にダブルスで内山靖崇選手とのペアで出場しましたが、アンディ・マレー/ジェイミー・マレー組にストレート負けしました。
6月の「ウインブルドン」で初の予選突破 を果たしたのち、7月に発表されたATPランキングで100位となり、初の100位以内ランクインを果たすと、8月の「アトランタ・テニス選手権 ではベスト4 に進出します。
大会後に発表されたATPランキングは85位。
【2017年】
2017年1月1日よりミキハウスと所属契約を結び、年初の「ブリスベン国際」は2年連続で予選通過しますが1回戦で敗退となりました。
マイアミ・オープン に出場して、予選を勝ち抜き初のマスターズ1000本戦出場します。
3回戦でATPランク14位のドミニク・ティエム選手に敗れましたが、2勝をする大健闘を見せました。
日本人としては錦織圭選手、ダニエル太郎選手に次ぐ3位のポジションにつけています。
2017年3月の怪我による休養期間中に、現役のトップ選手としてはいち早くYouTube「Yoshi’s Channel」を立ち上げています。
【2022年】
1月「アデレード国際1」ではシングルスで初戦敗退し、ダブルスではベスト8入りしました。
「アデレード国際2」では1回戦敗退しています。
「全豪オープン」ではシングルスもダブルスも1回戦で敗退しています。
しかし、「ATPチャレンジャーツアー」の「コロンバス・チャレンジャー」では優勝を果たして、翌週の「クリーブランド・チャレンジャー」では惜しくも決勝で敗れて、準優勝しています。
2月「メキシコ・オープン」では男子シングルスで準々決勝まで行き、ダニル・メドベージェフに敗れました。
2022年2月26日時点での世界ランキングは96位。
3月「マイアミ・オープン」では男子シングルスで3回戦まで突破し、ロイド・ハリス選手に敗れました。
西岡良仁引退はいつ?実家のテニススクールの名前・特徴など経歴紹介
いかがでしたか?
西岡良仁選手の引退日はまだ正式に発表されていません。
実家のテニススクールの名前はニックインドアテニスカレッジです。
西岡良仁選手は数少ない左利きの選手で、海外の選手と比べると身長(170㎝)は低めですが、トップスピンフォアハンドや長いラリーを続けることで試合に挑んでいます。
本人はスランプに陥っていると言われていますが、その悔しさを活かして成長出来るように頑張って欲しいです!
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